止まった時間と流れる時間

夫を亡くした30代妻のつぶやき。

一年後…近況報告。

最後にブログを書いてから一年が経ちました。


息子は四月から小学生。先日学童の説明会で小学校に行ってきましたが、保育園ほど親も楽ではないのだな…と。半日授業や大型の休み期間はお弁当を作る…当たり前ですね(^^;;

しかし、学童の中でも行事が盛り沢山で、親が企画して…仕事をして時間がないから仕方なく学童な訳だけど、度々イベントを開催する時間と労力、、、学校の運動会と別に学童の運動会もあるとか意味不明。…仕方ない、やるしかない。学童に子供を預ける他の親御さんも大多数、同意見だと思っているのですが(´Д` )役員も子供一人につき必ず2年どれかやらないといけないらしくて。また、月一で全家庭、保護者の集まりアリ。「嫌だ。」さておき、各家庭の状況で出来る、出来ないはあるよな…ボソッ。


私は今も同施設で介護の仕事を続けています。今後も出来ればずっとしたいと思える、人が人らしくいられる仕事です。

人間関係は一部で「ん?」だけど、メインはここではないのでいい歳した子供達の喧嘩と思って気に留めない事にしてます(^^;;大体が自己顕示欲や歪んだ見方から起こるモノだと私は感じます。

利用者さんとの関わり。共に時間を過ごすのが、お互いにとって日常。人の気持ちを考える…常に自然とそうしながらその中で過ごしているようなもので、それが仕事であるという事が魅力です。いい人ばかりではなく、勿論わがままさん等もいらっしゃいますが。そういった方々でも生きてきた環境など、その人を少し知った上で接すると客観視できて、自然と受け入れられたりもします。それに、今目の前のその方は不自由な生活を送らざるを得ない中で生きている、頑張らざるを得ない訳なので…決して心の広くない私でもそう思えます。

大変な事も少なからずあるけど、これまでのデスクワークや接客業では得られなかった、もっと深い部分で人としての関わりが自然と出来てきます。旦那の死が、自分自身の物事の捉え方を変えた部分もあるかもしれませんが…。

色々な方がいらっしゃいますが、限られた人生を意識されているだろう老年の方々から優しさや、正しい事を考えて過ごされてきたのだろう真っ直ぐな気持ちを感じると、自分がもっと歳を重ねてもこんな風にはなれないだろうと思い、その立派な生き方を尊敬したり(当然、こうなってはいけないわ、の逆パターンもありますが(^^;; )いい意味で自分自身の生き方をも考えさせられます。


そんな仕事ですが、三月に退職します。というのは、四月から私も学校に通う事にしたからです。息子と同じく一年生。ピカピカの〜…親はボロボロの〜〜(^^;;

ある資格を取る為です。恐ろしく昔の高校まで遡って勉強(数学ヤバかった…汗)、受験し、入学金も払いました。平均年齢は私の年齢の約半分だと…もう、ネタです(笑)でも、歳がどうこうも言ってられません。もう後には戻れないと思ってますし、私のちっぽけな人生の中では大きな賭けです。

ボロボロになる覚悟はしてます…そうなるだろうと思っていて、その間の時間的、金銭的、子供達との関わり、体力も…あらゆる部分に自信がないだけに、進路を決めても喜んでいられません。春からはまた次の試練だと思っています。でも、やると決めたからにはやるしかないので…頑張ります。大体何を目指してるか分かるのでは…とも思いますので、「その通りです!」と書いておきます。聞かないでねっ(笑)


数年後に良い報告出来るかな…いや、出来なければ困るな…生活、確実に行き詰まります(T_T)

私だけの人生ではないというか、子供達の今後を考えた上での選択。子供達がいなければ、きっと今のままで働いていると思います。去年の春までは、その時の生活を軌道に乗せる事だけで一杯だったので考えていませんでした。乗せられた所でこのまま、これから先…現状維持でいたいけど無理と判断して決めました。


ある意味相変わらずではあるからあなたの知ってる私のままだけど、変わった…変わろうとしてる?いや、物事に追われて状況に流された結果、変われたんだろう。少しずつあの日から前に進んではいる。

いなくなってから、どんどん大変になっていってる気もしてる。一杯一杯ながら頑張ってるよ…ってちょっと愚痴ってもみたけど、旦那の感想を聞きたい(笑)

キャパ狭いけどさ、、、精一杯なら認めてくれるよね!?