止まった時間と流れる時間

夫を亡くした30代妻のつぶやき。

今一度、思い出そう。

旦那が亡くなってから、6ヶ月半。


半年、という響きよりこの季節感に胸が痛む。

少し肌寒くもありながら過ごしやすい陽気や風が、

深い喪失感の中でこれからどう生きていけばいいのか、

日々思いながら朦朧と過ごしていたあの時と同じ感じです。

丁度、ブログを書き始めた頃です。


もうブログもこれで112回目で、

自分でもそんなに書いているんだな…と。


ブログを心のやり場にしています。

そして自分が喪失感の中で求めた様に、

同じ様に生きておられる方の声が聞きたくて。

その声が自分の救いとなってくれた様に、

自分も同じ様に出来たら…という思いも。

興味本位で触れられしまう事もあるだろうけど、

身近に同じ様な方がいらっしゃって

どう接していいのか(人それぞれでしょうけど)

そうかもしれない気持ちを知って貰いたい思いもあります。


書くだけ書いておいて…ですが、

書いたものを自分で読み返す事は殆どありません。

戻る事が苦しくて、まだ懐かしむ思いも湧かずで

あの日の延長線上です。


旦那がいなくなって日常に戻った直後の事は

今振り返ってみると、記憶がありません。

真っ白だったのか真っ黒だったのか…

思い出せません。


この季節感の時…

明るく振舞おうとしてました。でも無理な話で、

ほんの些細な事で何度も崩れていました。

どれだけ泣いたか、何時もショックが頭から離れず

旦那の事をずっと考えてました。

見当もつかない程どう生きていけばいいのか、

でもこうあらねばならない…

そう過ごしていた事を思い出します。


旦那なら、こんな時どう言うだろう…

まだ声が聞こえそうで、聞こえなくて、あの時は

いなくなった事自体を受け止めれずにいました。

当然、どれだけ求めても何が返って来る訳でなく

思う程に虚しくなるだけです。


前に進む為に、繰り返してしまう虚しさを

経ちたいと思う事もありました。


でも、子供達の心には居続けて欲しい…

パパに愛された事を沢山感じれる為に。

自分がそうなら、

子供達の心に求められる訳ないですよね。


毎日線香を焚き、子供達はその姿を見ています。

もうここにいない事を充分思い知りながらも、

どこか心の拠り所として。


子供達は最近、3人家族だと言います。

4人だと訂正しますが、私の心の表れでしょう。

線香を上げる姿を見ていても、

「親の背を見て育つ」

心で受け止めているんだな…と。

気が付けば、旦那の声を必要としていた時と違い

私一色の家庭になっていました。


これから、どうありたい?と自問自答…


旦那の存在あっての家族のバランス。

自分の考えも旦那あってバランスを取れていた訳で。

子供達の心にしても…

それはこれからの話だろうけど、今もきっと大事な筈。


「父親代わりにもなっていかなければいけない。」

初めはそう思ったけど、今は無理な話と思います。

母親は、どれだけやっても母親でしかないし、

それは仕方のない事。


あの人ならどう言うか、

旦那の意思が生きる四人家族でいられる事…

それは必ず、遺された私達の為になると思う。

あの時期に必要とした声、

今一度、反省と同時に思い出そうと思う。

感覚が戻ってしまう事は当然望みませんが、

旦那の意思を尊重するべきではないかな、と。

死の覚悟なんてあったのか…

突然過ぎる事で、でも絶対に生きたかった無念を

少しでも果たせる…かな。


どこまで出来るかな…

今の私は旦那の妻でありながら、

もう母親であるのみだけど。

私だけになってから変化が沢山ある中で

旦那が言うだろう言葉を思いながら、

子育て、家族としてはどうありたいか。

考えながら過ごす事が、妻と言うのなら

その分の役割だろうな、と。

孤独感の中で見失ってました。

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